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大阪市中央区伏見町四丁目4番9号
淀屋橋東洋ビル3階
あきない総合研究所のレンタルオフィス
TEL 06-7878-5759
目的
1.SDGsに関するコンサルティング及び教育
2.エシカルに関するコンサルティング及び教育
3.ローフード、健康に関する教育
4.伝筆に関する教育
5.前各号に付帯又は関連する一切の事業
楽天銀行
兵庫県尼崎市出身
工場地帯である海沿いの国道43号線沿いに住んでいたために重い小児喘息に罹る。小学生低学年の時に、小学校の小児喘息患者で集団検診を受け、公害病認定患者に認定される。
そのために、幼稚園に上がる前に 入院し、月に数度、病院に担ぎ込まれることがありました。
しかしながら、小学校の高学年になった時に、大阪大学医学部付属病院に行きました。そこで、医師から母に「甘やかすな!」という一喝があり、母が甘やかさなくなりました。そして、6年生の時に姿勢を治す、口呼吸を治すなどをして、喘息は克服しました。
これで、公害病認定は返上しました。しかしながら、公害のような世の中のひずみは悪い、病気は無くさないといけないものという感情は残りました。
小学校から中学受験をして、大阪の高槻中学というところに行きました。たいした進学校でもないので、たいした勉強もせず、のんきに生きていました。高校もエスカレーターです。ワンダーフォーゲル部で中学・高校と過ごし、自然に親しみました。
ただ、結果的に東京工業大学大学院で地球環境化学を学ぶことになりました。それほど望んでいたわけではないですが、幼少期の痛みを解消する行動を取っていたようです。ここで、地球温暖化(気候変動)、森林減少、大気汚染(今のPM2.5)、水質汚濁などを学びました。資源の問題も学びました。
博士課程にいくつもりでしたが、家の事情で就職することになりました。円高不況で、業績が著しく悪い鉄鋼会社に就職しました。何か面白いことをやるだろうと思ったからです。
会社に入って、茨城県鹿嶋市の鹿島製鉄所に配属されました。自動車用の薄板にメッキや塗装をする工場で働いていました。
新入社員の途中から数十億円の新工場の立ち上げプロジェクトに関わりました。予定より早く立ち上げました。それが良かったのどうかわかりませんが、いろんな面倒な仕事をやらされました。そして、仕事が嫌になって、2年目の終わりに人事部に「辞めます」と言ったら、研究所に移りバイオ(遺伝子組み換え)の仕事に変わるように言われました。
バイオの仕事をやり始めて、筑波大学遺伝子実験センター(センター長は村上和雄先生)へ国内留学の話が出て、2年間留学した。植物の遺伝子組み換えの研究をしたが、主に植物病原菌が持つメガプラミドの遺伝子配列を読む仕事に従事した。結果的、協和発酵の人と共同で特許を出願することができました。味の素や新日鉄など一流企業の人も交流があり、学生との付き合いもあり、楽しかったです。
2年間国内留学した後、戻る部署は消滅していました。そこで、事業開発部で行っている診断薬の仕事に従事することになりました。大手検査センターの中で研究開発していたので、検査の裏側を知ることができました。その事業も、パッとせず、結果的に3年ほどで転職することになりました。いま、その組織は存在しないので判断は正しかったと思います。
松下電器のグループ企業である松下寿電子工業に移って、血糖値測定用のバイオセンサーに関わることになりました。このセンサーは、最新式であり国内市場を70%占めていました。
ここでは、製造法の改良、新ラインの立ち上げ、FDA査察の対応、薬事申請などを担当しました。
会社の方針に逆らう上司がいたので、残念ながら2年半で退職しました。
世界一の製薬会社になるファイザーに転職し、当時流行っていたバリデーションという業務につきました。国立公衆衛生院の先生を中心とした大手製薬会社と研究した成果は左図の講演会で発表しました。
日本製薬工業協会のGMP事例研究会で東京大阪各300名の前でも講演しました。
しかしながら、今度は違法行為を行う上司に関わり、自ら退職することにしました。
食品に関する起業したりしながら、医薬品セミナーで講師をしていました。その傍ら、大阪大学で左図のようにサステイナビリティ学を学んでいました。
省エネ関連もやりましたがうまくいきませんでした。ただここで、セミナーやコンサルを経験しました。
サステイナビリティ学でも、この当時は、環境リスク管理学です。
大阪大学大学院科目等履修生高度プログラムであり、学歴に書いても良いことになっています。
若い学生さんもいて、面白かったです。
「SDGs推進のために必要なエシカル意識獲得と禅との関係」
合同会社持続可能 代表社員 小林一三
紀要 実母の医療過誤による死、実姉の自己愛性パーソナリティ障害、自分の高血圧という危機に直面し、「悟り」を目指して、四国88か所の歩き遍路から修行を始めた。毎朝坐禅を1年間した後、見性はしたけれど、そこからも困難が続いた。機会を得て、千日回峰行者塩沼大阿闍梨にご指導いただいて、見性までは「山の修行」。それ以降は「里の修行」ということで、「里の修行」に励んだ。亡き母の医療裁判も勝訴的和解し、実姉の障害も回復し、自分の240mmHgレベルの高血圧も平常値に戻った。途中、臨済宗円覚寺の横田老師にもご指導いただいたが、現代の精進料理ローヴィーガン食の効果も大きかった。実存的変容と呼ばれるエシカル意識まで到達することができた。これから、SDGs達成のために邁進していく。慶応大学教授の前野先生の意見(幸福学)、安泰寺のネルケ無方老師の意見も交え、withコロナ時代の曹洞禅の可能性を論ずる。
1.私の経歴
昭和37年3月21日に兵庫県尼崎市で生を受ける。その時代(公害が当たり前)の影響で、小児ぜん息を発症し、公害病認定患者になった。そして、ぜん息の治療のために出向いた大阪大学医学部付属病院で先生が母に「甘やかすな!」と一喝してから、母が甘やかさなくなり、その後、ぜん息は自力で治した。この時の体験が、幼少期の痛みの体験となり人生に大きく影響した。
その後、大学では「環境」を専攻し、東京工業大学大学院修士課程を修了し、住友金属という鉄鋼会社に就職するも。遺伝子が研究したい想いがあり、筑波大学遺伝子実験センター(センター長は村上和雄先生)に国内留学した。その後、C型肝炎ウイルス(RNA型ウイルス)の遺伝子型判定キットの開発などを経験し、ファイザーで医薬品の製剤技術研究にも携わった。
その後、ファイザーを退職し、医薬品に関するセミナー講師をしながら、大阪大学大学院に通い、「環境リスク管理学」を学ぶ。そこで、環境問題を解決するためには、「意識の成長と進化」が欠かせないことを実感する(エシカル意識獲得)。様々な事業を模索するなかで、以下に記述する問題に直面した。そして、今現在、その問題はほぼ解決して、新たな旅立ちをするための準備をしているところである。
2.生死(エシカル意識獲得への過程)
生死の問題は、道元禅師も著書「正法眼蔵」でも説明されているが、世界的にも研究されている。ケン・ウイルバー氏があらゆる宗教・哲学から導き出した全体像を天外伺朗氏が改定したものが図1の「意識の成長と発達のサイクル」である。その中で、真ん中の個の領域(自我の発生と確立)が成人発達理論(R・キーガン氏も提唱)であり、初期自我、中期自我、後期自我、成熟した自我、と発達していくことを示す。ここの部分は多くの研究者が同意しており、禅では、この成人発達理論の個の部分を取り扱っている。そして、自我とはエゴのことであり、自分勝手な思いのことである。
身体との分離とは、脳の中に「私」ができることであり。物心つくと表現することもある。ここから、「こうあるべきだ」という自分の姿のペルソナという仮面を意識相に作る。そして、ペルソナを作ることで、無意識相にシャドー(「影」)を作ることを深層心理学者で精神医学者のユングが発見した。この「こうあってはならない」というシャドーがモンスター化して、こうあってはならない現実に出くわすと、無意識から強烈な不快感が現れ、現実世界に正当化を求めるようになる。この現象を「シャドーの投影」として、あらゆる戦いの原動力として働く。ペルソナを形成してシャドーをつくることを後期自我まで行い、その分離を統合していくのが成熟した自我への発達ということになる。その発達にともない、エシカル意識を獲得する。なお、見性成仏、成熟した自我、実存的変容は同じ現象に違う表現を用いているだけである。
図1.意識の成長・発達のサイクル
道元禅師が正法眼蔵「生死」のなかで書いている「もろもろの悪をつくらず」というのは、ユング的に言えば、シャドーを作るなという意味である。無意識相に悪を作るとその影響で強烈な不快感を起こし、非倫理的な行動を起こすためである。
ペルソナとシャドーを統合する過程が、後期自我から成熟した自我への発達である。成熟した自我まで発達するとペルソナとシャドーの統合が起こり、自我の働きがほぼ無くなり、エシカル意識(倫理的な意識)を獲得することができる。
なお、ネルケ無方氏にも説明したが理解してもらえなかった。
3.禅の十牛図(見性成仏への道)を脳科学や哲学ベースに解説
東京工業大学の卒業生である前野隆司氏と天外伺朗氏の考えをベースに解説する。前野氏はロボットやAIの研究者でしたが哲学、心理学、宗教も研究されました。そして、天外伺朗氏は元ソニーの上席常務であり、ソニー時代にも茂木健一郎氏など脳科学者を雇用し脳科学を研究し、AIBOというロボット犬の開発責任者であり、心理学等も深く学んだ技術者である。よってここから説明することは科学的に証明されたことである。
「私」は今までの人生の記憶である。そして<私>は脳科学的に言えばクオリアであり、一般的には「本当の自分」である。禅では「本当の自分」を見出すために、坐禅を行う。十牛図では、「本当の自分」を牛に見立てている。「私」と<私>が土の上に座るのが坐禅である。そして、修行を積むことで以下のように進化していく。塩沼亮潤大阿闍梨は、4の得牛までを「山の修行」、8の入牛俱忘までを「里の修行」と定義されました。但し、千日回峰行では見性はしない。
1.尋牛 「私」が<私>を探す
2.見跡 「私」が<私>の跡を見つける
3. 見牛 「私」が<私>を見つける
4. 得牛 「私」が<私>を捕まえる 見性(魂のインフレーション)
5. 牧牛 「私」が<私>を調教する
6. 騎牛帰家 「私」が<私>を家に連れて帰る
7. 忘牛存人 「私」だけが残る
8. 人牛俱忘 「私」もいなくなる
9. 返本還源 あるがままの自分になって里に帰る
10. 入鄽垂手 「さなぎから蝶への意識の変容」(英語ではトラスフォーメーション)を起こし、人々に教化を始める
そして、「あるがままの自分」の感覚を磨くために、曹洞禅では梅花流を提供している。以下の道元禅師のものが有名である。臨済宗と違い、気づきの禅である。
春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて 冷しかりけり
4.問題に直面
様々な事業を模索したがうまくいかず、そんな折、母が重篤な病気になり、看病の甲斐もなく亡くなってしまった。家では、実姉が「自己愛性パーソナリティ障害」を発症し暴れていた。このパーソナリティ障害というのは、意識が初期自我から発達しなかった人が陥る障害で、大人になり切れなかったということである、現代社会では「ひきこもり」や社会的事件が発生する原因になっている。
そして、私は図2にあるように最大血圧が200mmHg を超える高血圧になり、大変な状態となった。母については、医療ミスが原因であることが徐々にわかり、結果的に医療裁判を起こすことになった。「夜と霧」という著書で有名なヴィクトール・フランクルがいう「実存的危機」を迎えたのである。
5.見性成仏(エシカル意識獲得)への道を実践する
まずは、坐禅は毎日朝最低15分実践しつつ、「四国88ヶ所のお遍路」から取り組んだ。ここで学んだことは、起こる現実を受け入れなれないという事実である。パチンコ屋の前を通ると、「今日はパチンコで勝ちたいので、お札を下さい」というおばさんにジュースをもらったが非常に嫌な感じに思った。必死で歩いている時、「お遍路さん」と呼び止められて、お接待を受けた。そのせいで、遅れて、お接待でなくてお節介ではないかと思ったりもした。明確に分かったのは、自分の中に自我(エゴ)がいっぱいあることであった。
その後は、ホロトロピックブレスワークや内観、坐禅断食など見性まで行くためのワークに挑戦した。意外に効果があったのがローヴィーガン料理だったと思う。2016年ノーベル生理学医学賞を受賞された東京工業大学の大隅栄誉教授が提唱されている「オートファジー」という遺伝子が働くようである。現代の精進料理であり、図3のように、果物や野菜を主にした料理であり、砂糖は使わない。
1年間一生懸命修行に勤めて、見性に至る。十牛図で言えば得牛であるが、自分と他との境界がなくなり、自分もいなくなる体験をした。しかし、同時にユングの言う「魂のインフレーション」を起こし、何でもできる感覚になってしまった。
ちょうどその頃、幕末の陽明学者佐藤一斎先生に関する講演で大阪を訪れていた神渡良平先生と知り合った。神渡先生の武蔵嵐山志帥塾に千日回峰行者の塩沼亮潤大阿闍梨が講演されると聞いて参加した。志帥塾が行われた国立女性教育会館は、叔父が安岡正篤先生に学んだ「日本農士学校」があった所であった。
塩沼亮潤大阿闍梨に自分の現状について質問したところ、真摯にご回答いただいた。大阿闍梨も千日回峰行のあと、一人の人と対立し、その人を受け入れるのに苦労されたということでした。そして、故松原泰道老師からアドバイスを頂き、悪をつくらず、対立していた人と和解したということでした。
大阿闍梨に見習い、悪をつくらないように努力したおかげか、亡母の医療裁判も勝訴的和解で終了し、私の血圧も最大血圧が110mmHg台に下がり、実姉もようやく働きだした。見性成仏に達し、エシカル意識を獲得することができた。
また、円覚寺管長横田老師からご紹介いただいた岸田奈美氏の著書から大きな気づきを頂いた、彼女は中学生のときにお父様を急な病、心筋梗塞で亡くされた。そして、高校生の時に、お母様が急性大動脈剥離になり、手術で命を取り留めたが下半身麻痺が残り、車いすユーザーになったにもかかわらず、お母様のためにミライロという会社を設立されました。ミライロは、障害をバリューに変える会社であり、お母様のひろ美さんを年100回公演できるまでにしている。そんな彼女も、周りの人とうまくいかず体調を崩したのである。しかし、知的障害があるダウン症の弟さんと旅行することで、自分らしく生きればよいことに気づく。そして、頭の中から「私」がいなくなり、元気に生き始めた。彼女の影響で、私も「私」が消えた。
多くの人々と知己を得たので、そこを起点に活動の輪を広げていこうと考えている。これからは得た知識を広め、SDGsを実践していくことになる。
6.一番重要なこと
仏教で一番大切なことは「縁起」である。東京工業大学と縁を起こしたことや塩沼亮潤大阿闍梨等と縁を起こしたことなどで問題は解決した。
そして、困難に出会ったときは、映画「禅」で道元禅師がおっしゃるように、起きている事実を「摂受」することである。道元禅師の「正法眼蔵」の「生死」にあるように「仏になるにいとたやすきみちあり、もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のためにあはれみふかくして、上をうやまひ、下をあはれみ、よろづをいとうこころなくて、心におもうことなく、うれうることなき、これを仏となづく。またほかにたづねることなかれ。」ということである。見性後の修行の要点がここに書いてある。
7.コロナ後の世界
新型コロナウイルスは世界中に騒ぎを起こし、2020年は世界の人々の意識が新型コロナウイルスに集中した。米国ファイザー社が独社バイオンテックと共同でmRNA型のワクチンを開発し、提供し始めている。このワクチンは画期的なものであり、体への影響は理論的にあり得ず、臨床開発で95%の有効性を示している。これにより、オリンピック開催時までに日本での新型コロナウイルスによる騒動はある程度、収まるであろう。図4にmRNAのワクチンとしての機能を示した。抗体を作るためのタンパク質を一回の反応で作るために副反応はない、そして、mRNAは体の中ですぐ分解するのである。但し、ワクチンにはそもそも体に悪い成分も含まれている。
このように世界中の人々が、新型コロナウイルスの問題を通して、分断した今の世の中では問題が多いことに気づき、コロナ騒動後は、組織のティール化が急速に進んでいくと考える。ティール組織の考え方は、フレデリック・ラルー氏が言い出して、ケン・ウイルバー氏が広めたのである。ラルー氏は2019年に来日し、東京工業大学で講演し、著書「ティール組織」の日本での解説者である東京工業大学リーダーシップ教育院特任准教授の嘉村賢州君を日本でのソース(源)に指名していった。賢州君に直接聞いても、ティール組織のリーダーは見性成仏していることが必要であると言っていた。いよいよ、道元禅師の思い描かれた、見性成仏(ティール)した人々がリーダーになって、世の中を引っ張っていく、平和な世の中が実現する時代がやってきたのであろう。
参考文献
1. 小林一三 「悟りへの道」-困難を克服し幸せになる道しるべ 夢叶舎(Amazon) 2019年
2. 天外伺朗 「実存的変容~ティールの核心。」内外出版社 2019年
3. 横田南嶺 「十牛図に学ぶ 真の自己を尋ねて」致知出版社 2020年
4. 前野隆司 「脳はなぜ「心」をつくったか」―「私」の謎を解く受動意識仮設 筑摩書房 2010年
5. 日本リビングビューティー協会 「生活習慣病を終える」2019年
6. 岸田奈美 「家族だから愛したのではなくて、愛したのが家族だった」
小学館、2020年